タワーのあとにタワー


2009-11-26 02:56:34 | 地元

小倉の大手町というところはマンションが沢山建っていて、

治安の悪い小倉でもちょっとリッチな雰囲気が漂うエリアとなっています。

 

実はこのエリア、戦時中は「陸軍小倉造兵廠」と

呼ばれる西日本最大の兵器工場でもありました。

地図にも載せれない国家機密エリアで、

小倉に原爆を落とす理由もこの造兵廠だったのです。

  

今でも兵器工場の面影をたどる事ができます。外壁などは当時の物がそのまま使用され、

当時使用されていた秘密の地下トンネル郡も年に1度公開されています。

 

今は昔、俺が子供の頃は今よりも建造物が残っており、

中でも「幽霊塔」というのが印象深いです。

それは造兵廠の給水塔の残骸で、

あまりにも気持ち悪いルックスより子供たちからそう呼ばれていました。

給水塔跡地

現状は上の写真のとおり。荒れ放題に荒れ果てています。これは取り壊された後だから、というわけではなく、現存していた時も変わりありません。当時の写真は下の方にあるので比べて見て下さい。  遠くから見ると、雑草雑木が生い茂り、何も見えません。洒落にならないルートで跡地に近づくと、わずかながら、往時を偲ばせるものがありました。 写真2 基礎部階段  写真3 上部階段 この上に塔が有った  写真2、3ともに跡地丘の北側に有ります。塔が残っていた当時は、わずかに人が訪れていたようで、あまり苦労せずに辿れた道でした。今は、はっきりいってたどり着くのは至難です。特に夏場はあきらめましょう。ヤブ蚊の襲来は恐ろしいほどです。カメラを構えた左手に、同時に6匹が止まった時もありました。 写真4 送水管を覆う壁  写真3の階段の直下に、写真4の壁があります。この中に送水管があります。 写真5 送水管の水栓?  送水管の、給水塔跡地に最も近接した場所に、水栓と思われるものが残っていました。   写真6 送水管(水栓直下)     写真7 送水管二股部  送水管は、写真6から始まり、写真2の階段の右横を平走して高台斜面を降りていきます。写真6部分は二股になっているのですが、用途は不明です。これら送水設備が、戦前のものかどうかは不明です。  北九州市は、昭和62年に「北九州市史」という市政記録を編纂しました。その中の重化学工業の項目に於いて、旧八幡市の官営八幡製鉄所と比肩するものとして旧小倉市の陸軍工廠を紹介しています。しかしながら、その中では給水塔に関する記述は一切ありませんでした。 市側には、給水塔に関する情報が全くといって良いほど無かったのかも知れません。

www1.linkclub.or.jp

  

自分も中学生の頃に友達を引き連れて、よく探検に行っていました。

俺達の頃はすでに中に入る事はできませんでしたが、

塔の間近まで近寄っては遊んでました。

俺にとっては立派な子供の頃の思い出です。

  

そんな幽霊塔も俺が高校の時に壊されてしまいます。

「平和の文化財として保存するべきだ!」と大規模な座り込みなどがありましたが、

あっけなく壊されてしまいました。

  

当時、そのニュースを聞いた俺は、

かわいそうな姿になった幽霊塔にお別れの挨拶をしに行った記憶があります。

そして、何でも壊してしまう市政に疑問を持ちました。

  

それから15年。俺も32歳になりました。

大手町に小倉発の免震マンションが建つという事で、

ぼけーとネットで色々と調べていました。

http://www.polestar-m.jp/property_list/285/

  

あー、こんなところにマンションを買ったら人生バラ色だなぁ等考えてたら、

ある事に気がつきます。

 

これ、幽霊塔の場所じゃねえか!?

       

そんな幽霊塔ですが、今は記念としてレプリカが作られています。。

近くに健和会という大きな病院があるのですが、

その裏の公園の角にひっそりと保存されています。

0コメント

  • 1000 / 1000

NEWプチ民宿高橋 山口編

宇宙、日本、宇部