Tue.08.16.2011
8/13 10:30
突然ですけど、8/9の原爆は小倉に落ちる予定だった事をご存知ですか?
当日、B29は小倉上空までやってきたのですが、天候と前日の八幡空襲の煙より、
標的(旦過橋)を目視できなかった事が原因で、第2標的だった長崎に投下されたのです。
13日の午前中、チョイ用で中央図書館へ行ったのですが、
図書館の向かいの「市立文学館」 (Click!) にて「小倉原爆展」が催されてたので、
そっちにも足を運んでみました。
小倉に原爆が落ちていたら、恐らく俺は生まれていません。
当時ばあちゃんが住んでいた赤坂延命寺は爆心地から2.5kmの距離であり、
恐らく家屋毎吹っ飛んでいたのだと思われます。
生前、ばあちゃんにこの日の事を聞いてみた事があります。
ばあちゃんはこの日の事を鮮明に覚えているらしく、
曇天模様の空の下、生まれたばかりの叔父を抱っこしてじっとしていたらしいです。
当時、国内最大規模の軍需工場を抱えていた小倉は、
そのくせ大きな空襲に襲われた事はありませんでした。
とはいえ数日前に広島へ新型爆弾が落ち、前日は製鉄所を狙った八幡空襲が起きた。
なので、近所の人は「そろそろ小倉が狙われる」と噂してたとの事。
でも、ばあちゃんはそれに対して打つ手が無いから、とにかく家でじっとしていたとの事。
小学校の授業でこの話を知った時、なんか申しわけないなぁ・・と感じた事も覚えてます。
とはいうのも、もしも小倉に落ちてたら自分の代わりに長崎で誰かが生まれてたのだろうと。
でも今更そんな事を云っても仕方ないので、その子の分まで一生懸命生きねばと思ったんです。
今月末まで文学館で開催しています。近くの方は、是非とも行ってみては如何でしょうか?
遠くて行けない方は、以下リーフレットを見れば、ほぼ全容を把握する事ができると思います。
表 (Click!)
裏 (Click!)
結局小倉の街は、戦災を受ける事なく終戦を迎えました。
現在の小倉市街の道が狭いのは、江戸時代からの区画そのままだからです。
例外的に広い、浅香通り、小文字通り、平和通りは延焼を防ぐ為の強制疎開の跡です。
もしも予定通り原爆が投下されていたら、どうなっていたのでしょう?
そんな事を考える度に平和のに大切さと、
どんな理由であれ戦争はあってはならないと痛感します。
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